味噌が中国から伝来したという説に対して、現在わたし達が食べている味噌は、日本の温暖多湿な国土条件によって造り出された物ではないかと言う、うれしい考え方もあります。
縄文人の生活跡からどんぐりで造った「縄文味噌」と呼べるような食品が存在したことがわかっているからです。
この「味噌のようなどろどろ食」は“ひしお”、“くき”と呼ばれるようになり、さらに時を経て、味噌が文字として表れるのは平安時代の「三代実録」(901)の「味噌」です。
その間には奈良の唐招提寺の開祖、鑑真和上が来日しました。その際に味噌の元になったと言われる食品を携えていたことは確実なのですが、その食品は大豆を原材料にしてはいるものの、味噌と言うより乾燥納豆のような携帯に適したものだったようです。
その流れを汲み、現在でも造られているのが浜納豆、大徳寺納豆です。
鑑真和上の来日当時、奈良の都には市場に未醤、醤を商う店が一軒ずつあったと言われていますので、すでに庶民の生活に不可欠な食品になっていたと思われますが、その頃の未醤、醤がどんなものであったかの記録は残念ながら残されていません。